ポジティブとネガティヴ

これが日々の生活の中での大きな分かれ道のようなものだと思う。

何も持たぬ人が居たとする。

何もないから周囲の人から学ぼうとすれば自然と何かがついてくる。

何もないから自分はダメだと思えば鬱ぎ込むだけ。

6月くらいまではずっとポジティブでいられたけれど、もう心が荒んでしまった。

逃亡日記⑦

思い返せばぼくはとても学校を楽しんでいた。知識や技術はなくとも、笑顔で一生懸命やっていたためクラスの中心的存在だった。

技術や知識も学習意欲からどんどんモノにしたし、何時でも向上心を持って取り組んでた。

それだけ好きだったのは自転車。でもなぜ好きなのか今一つわからず、知りたいと思う気持ちが一生懸命学ぶ原動力になったのだろう。

だが、学ぶことに疲れ、人付き合いに疲れ、何もかもから逃げ出したくなった先にぼくを待っているのは自転車。

乗ればそれだけで、全部忘れられる。

悩んでても、走行中は集中しないと危険が多いしそういう意味で嫌なことは何も考えず、目標を立てて走れば何かに悩む自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。

もう答えは見えた。これ以上学ぶ理由ももうない。誰かと走るとかではなく、独りで身の回りの全てから逃げるようにぼくは自転車に乗る。それがぼくにとって1番の自転車との向き合い方だって、気づいたから。


逃亡日記⑦

思い返せばぼくはとても学校を楽しんでいた。知識や技術はなくとも、笑顔で一生懸命やっていたためクラスの中心的存在だった。

技術や知識も学習意欲からどんどんモノにしたし、何時でも向上心を持って取り組んでた。

それだけ好きだったのは自転車。でもなぜ好きなのか今一つわからず、知りたいと思う気持ちが一生懸命学ぶ原動力になったのだろう。

だが、学ぶことに疲れ、人付き合いに疲れ、何もかもから逃げ出したくなった先にぼくを待っているのは自転車。

乗ればそれだけで、全部忘れられる。

悩んでても、走行中は集中しないと危険が多いしそういう意味で嫌なことは何も考えず、目標を立てて走れば何かに悩む自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。

もう答えは見えた。これ以上学ぶ理由ももうない。誰かと走るとかではなく、独りで身の回りの全てから逃げるようにぼくは自転車に乗る。それがぼくにとって1番の自転車との向き合い方だって、気づいたから。


逃亡日記⑦

思い返せばぼくはとても学校を楽しんでいた。知識や技術はなくとも、笑顔で一生懸命やっていたためクラスの中心的存在だった。

技術や知識も学習意欲からどんどんモノにしたし、何時でも向上心を持って取り組んでた。

それだけ好きだったのは自転車。でもなぜ好きなのか今一つわからず、知りたいと思う気持ちが一生懸命学ぶ原動力になったのだろう。

だが、学ぶことに疲れ、人付き合いに疲れ、何もかもから逃げ出したくなった先にぼくを待っているのは自転車。

乗ればそれだけで、全部忘れられる。

悩んでても、走行中は集中しないと危険が多いしそういう意味で嫌なことは何も考えず、目標を立てて走れば何かに悩む自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。

もう答えは見えた。これ以上学ぶ理由ももうない。誰かと走るとかではなく、独りで身の回りの全てから逃げるようにぼくは自転車に乗る。それがぼくにとって1番の自転車との向き合い方だって、気づいたから。


逃亡記録⑥

普通に取り繕う努力はしたのだから、どうしようもない部分に関しては目を瞑って欲しかった。

家が貧乏で、学校に通うため半日学校半日バイトの毎日送ってるって、その時点で余裕なんかないのわかってただろうから、それ以上を求めるのはやめて欲しかった。

一生懸命辛さを隠して普通に合わせて生きていたけど、普通とはかけ離れ過ぎていてどうにもこうにも続くもんじゃなかった。

働きもしないのにお金があるのが当たり前の人、学費を出してもらうのが当たり前の人、バイトをしなくても生きられる人、学校に当たり前の顔して通ってる人、そんな人たちに合わせるのはもう無理です。どれもぼくには必死に努力しても掴み取れない"当たり前"だから。

逃亡記録⑤

恵まれてる人々に対してのヘイトというかストレスが半端なさ過ぎて、学校でもバイトでもTwitterでも上手くやれない。

学校での話をしよう。

4月から学校に通っているが、友達もたくさん出来て不自由ない生活を送っていた。途中までは…

まだみんな若いため発言も行動も友達との間ではやり過ぎてしまうことが多かったと思う。ぼくは基本的に穏やかなため、人と話してて不快に思っても怒らない。そもそもまだ関わり始めて日も浅いのだし、そんなことを気にしていてはやっていけないだろうと考えて時に不快なことがあろうと我慢し何も文句は言わず接してきた。もちろん他社の悪口も面白くないし、まだ解りあってない関係で言うべきではないだろうと考えていた。

自分がそうだから相手や周囲の人々もそうしてくれるとかってことは全く無く、金持ちの子供達ばかりだからか、わがままな人ばかりで、学校を出ればすぐに誰かの悪口だったり、少し先を行っただけでキレたり、相手にハッキリものを言う人たちばかりで、自分はハッキリ言われようとも、ハッキリ言ってくれてありがとうって返せるけれど、そうでない人も少なくないため些細なことから反発が起きやすい環境に居た。

そういうことからのストレスもぼくの生活が続かない一因となってる気がするが、ぼくも我慢せずハッキリものを言えば良かったのか?信頼関係なしにハッキリ言いたいことを言うのは良くないって今までの人生で学んだのに、そうじゃないって言われてるみたいでね…

実際に言いたいことはハッキリ言った方が良いよって言う人もいるし、相手をおもいやって発言すべきだって人もいるし、人によるんだけれども、自分がどうされて嬉しいか?って考えるようにして発言してるけど、周りがぼくが言われて嫌な発言しかしない。まるで社会不適合者だと言われてるようで辛い。

自分がされて嫌なことは相手にしないって習わなかったのかな。企画運営とかそういうお仕事なら反発があって意見を言うべき時もあるだろうが、日常会話はおもいやりで成り立つものではないのだろうか。

逃亡記録④

Twitter上で某氏が、子供の学費を出すのは親の義務とか言っていたけれど、子供を持ち学費を与えている立場では無く、むしろ学費を出してもらっている子供の立場の癖によくそんなことが言えるものだと思った。

親に甘えている金持ちのお嬢様なんだろうなと思うけれど、与えられているものを当たり前だと思ってはいけないし、公に発言すべきことではないと思う。

もし自分が親になった時に子供の学費を工面するのは義務だからそのために云々とか、そういう発言ではないだろうし、もしそうだったとしても実際に子供の学費を工面するのが厳しい保護者世代からしたら聞こえのいい発言ではないだろうし、そういうことは実行した後に、自分の胸の内で誇っておけばいいもので、外に向けて発言することではないだろうと思いました。

何にせよ出来てない人が居たとして、そこには必ず理由がある訳だし、どうしようもないことだったりするし義務とか、当たり前という言葉を自分が出来るからとて軽々しく発言してしまっては傷つく人も居るだろうなと思った次第で、実際にぼくもあーこいつ死なないかなーくらいには思ったので、良くないことだと思いました。